こんにちは!まきこです
このページでは、波瀾万丈な私が「私を幸せにした奇跡」をご紹介したいと思います。
“心が人を動かすということ”
“心を交わし合うためにこの世に生まれた”
これが私の信条です。
私は夫と結婚してから毎日が常になぜか辛かった
それが「モラハラ」という言葉を知ってからは毎日死にたい、消えてしまいたいという思いで生きていた一定期間があります。
私はこの世に生まれた意味の1つに人は人と気持ちを交わし合うことを経験しに来たのだと思っています。
しかし、いつか人と比べることで、物質にとらわれ、お金が自分の価値より上回り不安や依存心から本来の生きる意味を忘れてしまっていたのです。
自分の可能性も信じることが出来ずに生き続け、子供達の可能性も信じることが出来ないまま子育てをしていました。
いい教育を受け、いい大学を卒業し、立派な仕事につくことが何よりも子供の幸せ。
私のような人生を歩まなくて済むと思い、洗脳し、不登校になり絶望的な親子関係に至ったこともあります。
悲しみの経験・結婚してわかった私の依存心
モラハラ夫との出会いは私を闇のどん底に落とした最愛の父の亡くなった1年後くらいでした。
私と母の関係性、父との悲しみから救ってくれるのは彼だと思い込んでいました。
私が今まで生まれて来た本来の意味を見失う原因として
・母親に愛されていないという思いが強かった
次女として生まれた母は私より次女を可愛がり、実際言葉で私や父に伝えていた事実
・厳しい母からのコントロール
・私を厳しくも愛情をもって育ててくれた父の突然の死
・11歳上の夫への依存心が、相手のモラハラを助長
・モラハラ夫からの支配を愛情だと思い込んだ
・長男も生まれ3人子供に恵まれ幸せになりかけたと思った矢先の次女3歳の突然の死
夫の支配と夫が長女を溺愛していたこと、私の育った環境から長女の子育てに自信が持てなかった私にやっとやっとお母さん子になってくれた次女でした。
そんな次女をさっきまで笑っていた次女を交通事故で亡くしました。
その時の長女の言葉が「ママの凜ちゃんが死んじゃった…」でした。
私は長女に母と同じように愛情を注げてなかったことを知りました。
それでも私は次女の死と長女の思いに向き合うことなく悲しみから逃げるようにスピリチュアルにのめり込み、生まれ変わりを信じました。
そんな不安定な思いからか、なかなか子供が授からず、壮絶な思いで不妊治療と戦い、やっとの思いで双子を授かります。
不妊治療は3年ほどかかりました。
モラハラという言葉との出会い
双子が1歳を超えた頃、“モラハラ”という言葉と出会う。
調べれば調べるほど夫に当てはまり、辛かったこと、しんどかった理由が全て解明されたと同時にパンドラの箱を開けてしまった気持ちになりました。
「私はこのままこんな人生で終わるのか?」
人生で初めて自分に問うことになるのです。
このまま夫と暮らす人生、自分だけが我慢すればなんとか家族としてやっていけるのかも知れない。
でも確実に心が死んでいくのが見えた。
子供達に形だけのいや、歪み合う親同士を見せながら育てて行くのか?
もし離婚して家を出ることになったら…
俺の家だと主張して絶対に家から出ないと言っていた夫
子供4人大型犬を連れてシングルマザーとして暮らす…
あまりにもハードルが高く、怖すぎる現実。
こんな葛藤の毎日にある転機が
悩みに悩みまくる私、ますますギスギスする関係
一発触発なピリピリした空間
すごく小さなきっかけでしたが大きな喧嘩に発展することになりました。
子供達の前で私に馬乗りになる夫
首を絞められ意識が遠のく中、死を覚悟しました
子供達の前で私は死んで行くんだな…
子供達の泣き叫ぶ声で正気に戻った夫は私から離れました。
私は横たわりながら
「もう無理だ…」と思うしかありませんでした。
私を救う一縷の望み
次の日、殴られた顔は痛い、首はアザだらけで絶望感でいっぱいでした。
どうやって生きて行こう
と考えていた時に偶然にも小4の時、両思いだった男の子から連絡が来ます。
人生って面白いですね
普段なら絶対に会うことはないのに、殴られた次の日と言うこともあり会うことになりました。
昨日あったことと、現状を話す私にただただ驚愕するしかない彼
小中学校時代は中心的人物になることも多く、中学校で反抗しまくり番長になっていた私…
「まさかこんなことになってるなんて、お前なら幸せになってると思ってた」
人は同じ環境にずっと居ると感覚が麻痺する
慣れと安全な場所の意味をはき違えることがある
私も例にもれず、その1人だった。
どんな性質の人でも1歩間違えたらモラハラDVに合う現実はあるのです。
子供達に自分の心を誤魔化して生きる姿を見せたくないという思いと
その彼の手助けもあり、5年かけて準備し、宗教で毎月確実にいない日を狙い昼逃げ決行
1年間は罪悪感と恐怖で家から出ることが出来ず、当時の生活費は5年かけて貯めたお金と、母親に貸していたお金で凌いでいました。
人生の転機と思える出会い
そんな生活も長くは続かず貯金も底をつき、生活保護が頭をよぎります。
調停も進まない、生活費ももらえない、離婚してないから児童扶養手当ももらえない、八方塞がりになった私がたどり着いた支援団体、それがシンママ応援団でした。
メールをした次の日に電話があり
「ちゃんとご飯食べてる?」が第一声でした。
「子供4人やろ?大変やな。お米送るから」と詳しい事情は聞かれずにお米とお菓子、食料品が送られて来ました。
生活保護課にも同行してくれて、その帰り、今まで食べたことのない豪華なパンケーキセットをご馳走になりました。
でもその時の私の心境は家にいる子供達に悪いなという罪悪感でした。
昼逃げ決行後、1年間、私の中には罪悪感しかありませんでした。
「お前は父親を奪ったんやぞ!」
「誘拐と一緒。最低な母親やな」
「俺は何も悪くないのに、なんでこんな目に遭わなあかんねん」
そんな言葉がずっと頭をかすめ、苦しんでいました。
母親として最低
生きていく価値はない
私は最低な人間
夫に言われたように、ずっとこんな言葉で自分を苦しめていた。
そんな中で出会った支援団体の代表は「生きていていいんだよ」と思えるように優しくおおらかに見守り導いてくれたのでした。
お米は最上級のお米
子供達の好みのお菓子
毎月送られてくるスペシャルボックスと名付けられたその箱の中には毎月手作りケーキが入っています。
私達のために100個以上のケーキが毎月ボランティアによって送られてきます。
「あなた達は生きてるだけで愛される存在なのだよ」ということを“大切にされる”ということで思い出されていくのでした。
その代表は賞味期限切れの食品、お古、古米などが送られて来た場合、ネット上で容赦なく怒ります。
バカにするなと
支援は自己満足ではない
相手が大切にされた実感を持って初めてちゃんとした支援というのだと
誰にでも失敗はあるし、辛い過去がある
だからと言って2度と幸せになってはいけないということではない
お母さんが救われて初めて、子供も救われるという強い信念をもって活動されています。
母、弟、妹に
「あんな奴を選んだのが悪い」
「我慢が足りない」
と言われ自己責任論に苦しんだ私が全くの第三者に大切にされ、立ち直ることが出来た初めての経験でした。
使命を思い出す
私も人を助ける側に回りたい!
私が大切にされ立ち上がれたように私の経験や言葉や能力で救える人と出会うことが私の使命だと思っています。
そんな時に思い出した父の言葉
「誠実であれ」
私は人に自分に誠実でありたい。
死にたいと思うような出来事を何度も乗り越えて来たけど、絶対に幸せだと感じる心は取り戻せる!
だから大丈夫!
あの時、死ななくて良かったと思える日が必ず来る!
未来の自分から光は届けられる
自分の能力、生きて来た意味と向き合った時、記憶との和解、自分との和解が出来る
自分と手と手を取った時、必ず光は届けられるのです
この世界はパーフェクト
それを信じたものだけが見える世界は必ずある